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カメラとか自転車とかアニメとか映画なんかが好きなオタクが管理する闇鍋ブログです。調子が悪いと文章が破綻します。旧ブログはこちらに移管しました→https://otaku4160.hatenablog.com

『GODZILLA キング・オブ・モンスターズ』(2019年) -★★☆☆☆-

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ギャレス・エドワーズが監督した『GODZILLA』改め『ゴジラVSムートー』に続くレジェンダリー版ゴジラ第2弾にして『キングコング:髑髏島の巨神』と世界観を共有するモンスターバース第3弾『GODZILLA キング・オブ・モンスターズ』を鑑賞。
今回はモスララドンキングギドラといったお馴染みの東宝怪獣が参戦するなど、実質的な『三大怪獣 地球最大の決戦』のリメイク作品といっても過言ではない。

ゴジラとムートーの戦いから5年。
それを機に世界中で次々と発見される巨大生物たち。
共存か抹殺かで世論が二分される中、怪獣の鳴き声を解析し行動を制御する装置がテロリストに奪われてしまう。
彼らがそれを使いキングギドラを目覚めさせたことで、呼応するようにゴジラも覚醒、地球の覇権と人類の存亡を掛けた戦いが幕を開ける。

ひとえにゴジラ映画といっても人類の業を風刺するハードな物から、怪獣を擬人化したライトな物まで多岐にわたるが、レジェンダリーが作るゴジラは言うなれば「平成ガメラシリーズ」の文法を用いた「平成VSシリーズ」。

新たにモンスターバースに加わった東宝怪獣たちは造形や出自がきちんとオリジナル版を踏襲しており、見せ場となるバトルシーンもふんだんに用意され見応えが感じられる一方、前作であれほど批判された暗くて見辛い画面構成は相変わらずで今回もゴチャゴチャしていて何をやっているかサッパリ分からない。
CG過多なハリウッド映画全般に言える事だが、余白を被写体や瓦礫などで埋め尽くすのが正義ではないといい加減気付くべきではないか?。
テーマ曲の使い方にしても、こう乱発されては有難みに欠けるし、そのアレンジにしたって『レディ・プレイヤー1』のメカゴジラ登場シーン同様コテコテな味付けで伊福部楽曲の魅力がスポイルされてしまっている。
引き算ではなく足し算でとにかく盛っていくのは、やはり国民性なのだろうか?。

例によってアメリカ人が大好きな家族愛や自己犠牲といった要素も盛り込まれているが、それらが有機的に機能しているかと言われれば全くそんなことはない。
あんな戦犯家族が再会しても感動もへったくれもないし、相変わらずゴジラ大好きおじさんは肝心なところで「どうなってる?」と質問しまくって呆れるばかり。
前作比でモナークが大活躍と言うが、どいつもこいつも専門家らしい行動は何一つ取らず、あまつさえ核兵器以上にヤバい代物の隔離施設を容易くテロリストに掌握されるなど危機意識の低さに開いた口が塞がらない。(少しは巨災対を見習え!)
実力派揃いのキャスト陣にしても役柄がどれもこれもチープな上、その真価を発揮することなく次々と退場していく文字通りの無駄遣いっぷりが泣けてくる。

監督のTwitterで登場が示唆されていた「オキシジェン・デストロイヤー」の不発感も半端なければ、アトランティス的な超古代文明の壁画にカタカナで「ゴジラ」と書かれているのは最早ギャグ。
キングギドラに踏み潰されたアレが簡単に直ったのはご都合主義の極みだし、ゴジラ大好きおじさんがストーキングの末、実家に上がり込んで恍惚の表情で昇天するシーンは本多猪四郎監督と芹沢博士の名前をもじったキャラであることを考えれば意義深いのだが、これなんてアルマゲドン?。

そんなこんなで内容はツッコミどころ満載でお世辞にも大人の鑑賞に堪えるとは言えませんが、それは一部の国産ゴジラも同じなので本作の出来が特別悪い訳では決してありません。
むしろ日本生まれのゴジラをこれだけの製作費を注ぎ込んでシリーズ化してくれていることに私は感謝の気持ちでいっぱいです。

頭を空っぽにして怪獣プロレスを堪能したい人、人間ドラマなんてどーでもいいよって人、『シン・ゴジラ』を「こんなのゴジラじゃない!」と批判した人は楽しめるタイプのゴジラ映画に仕上がっていると思いますが、そこにプラスアルファを求めるのは止めておいた方がいいでしょう。

ちなみにエンディング後にもオマケ映像があるので途中で帰らないように。
スタッフロールの最後のメッセージもファンなら感動必至です。